2004年7月、山梨県甲斐(かい)市の中学3年生だった彩(あや)さん(18)は、日本脳炎の予防接種を受けた。11日後、熱が出て、頭が痛み出した。風邪かと思い、近くの病院に行ったが、良くならない。立ちくらみもひどくなり、甲府市内の病院に入院した。
3週間後、脳や脊髄(せきずい)に炎症が広がる「急性散在性脳脊髄炎」と判明。日本脳炎の予防接種の副作用として、まれに起きるとされている。医師は「予防接種の副作用かもしれない」と告げた。
容体は一時好転したが、接種の3か月後、彩さんは激しい頭痛に「苦しい、苦しい」とうめき、噴水のように吐いた。「お父さん、お母さん、ごめんなさい。もう頑張れない」。翌日未明、呼吸が停止した。一命は取り留めたものの、意識は戻らない。
突然、両親を新聞記者が訪ねてきた。間もなく彩さんの経緯が報道され、甲斐市は調査委員会を設置し、予防接種との因果関係を調べることになった。
05年5月、両親は、テレビのニュースで、国が彩さんの被害を認定し、「日本脳炎の予防接種を積極的に勧奨しない」との緊急勧告を出すことを知った。日本脳炎ワクチンの副作用として、彩さんの症状がそれまでになく重かったための処置で、事実上、接種の中止勧告だった。
元気だった娘を病気にさせてしまった悔しさから、父親(50)は懸命にワクチンの副作用の情報を集めた。そして、日本脳炎の予防接種の副作用で、急性散在性脳脊髄炎が約100万分の1の確率で起き、重症になるのは、さらにその10分の1程度と知った。
彩さんの看病を続ける一方で、「1000万分の1の副作用に娘が見舞われたのは、運が悪いとしか言いようがない。そのことで予防接種を中止してよいものかどうか」とも悩んだ。
国は代替策として、副作用の少ない新型ワクチンを導入する方針だという。両親も、それが彩さんの被害を無駄にしない唯一の方法だと思った。
だが、新型ワクチンの開発が遅れ、当初1年程度とみられた接種の中断は、長期化する見通しとなった。今は希望すれば旧型ワクチンの接種を受けられるが、すでに製造が中止され、在庫も底をつき始めた。
国の勧告後、日本脳炎を発病した子供は、熊本県の3歳児1人だけだが、専門家からは、接種の中断が続くと感染者が増えるとの懸念も出ている。
「国は、いたずらに多くの親を不安に陥れているのではないか」。父親は今、そう考えている。
日本脳炎 ウイルスに感染した豚などの血を吸った蚊が人を刺すことで感染する。人から人へは感染しない。感染者のうち発病するのは100〜1000人に1人とされているが、発病すると20〜40%が死亡する。発病者は中国・四国地方以西に多い。標準的な予防接種時期(中断前)は3歳で2回と、4歳、9歳、14歳で各1回だった。
(2007年9月14日 読売新聞)