■ 科学抜きには語れない、でも科学だけでは足りない2018年6月2日06時00分





大村美香






 食の情報を考える上で刺激的な本に続けて出合いました。まずは「健康を食い物にするメディアたち ネット時代の医療情報との付き合い方」(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)です。




 著者の朽木誠一郎さんは、医学部を卒業し、ネットメディアの編集長を経験、いまはバズフィードジャパンで活躍する医療記者。2016年、盗用、不正確な情報の掲載が明らかになり閉鎖された医療情報サイト「WELQ(ウェルク)」の問題で、最初にこのサイトの内容について疑問を投げかけました。


 「健康や医療についてのウソや不正確な情報に騙されていない人なんて、いないのではないでしょうか」と朽木さんは問いかけます。「健康になりたい」とは誰もが抱く願いですが、医療は、専門家とそれ以外の人との間で、備えている知識や知っている情報の格差が大きい分野です。そしてネットなどの情報通信の技術もまた、専門家とそうでない人の格差が大きい。これを利用して情報を流し利益を得ようとする側の手口はますます巧妙になっており、健康になりたいと情報を求める人はつけこまれやすく弱い立場にあります。この構造がはっきり現れたのが、ウェルクの問題だと指摘します。





 本では、この構造と、怪しげな健康本が次々と出版される現状、ネット広告の手口などを詳しく解き明かしながら、情報洪水の中でどのように情報の確からしさを見分けたらよいかを紹介します。ダイエットなどで『すぐに』『ラクに』『だけで』といった言葉で簡単に健康になれるようにうたっている話はあてにならない、など、見分ける力に結びつくチェックポイントが数々載っています。


 正しい情報とはどんなものか。「医療情報の信頼性というのは『シロ』から『クロ』へのグラデーションです。明らかにシロに近いもの、明らかにクロに近いものがあり、その間にあるのはすべてグレー。グレーの情報を検証するための、絶対の基準はありません」と前置きしつつ、チェックポイントを押さえていれば、目の前のグレー情報がクロに近いのか、シロに近いのか濃淡が見えてくる、といいます。この指摘は、「食と健康」にまつわる取材をしていて、よく私も感じていることでした。

「人には感情がある」

 ここまででも、とても面白いのですが、さらに、それでもデマに巻き込まれることがある、と話は進みます。

「人には事情がある。感情がある。そこでは『正しい情報かどうか』の議論は意味をなさないのではないか」。医療デマに向き合っているとよくそう感じることがあると朽木さんは書いています。


 非科学的なことを信じる人にもその人なりの事情や理由がある。家族が不正確な情報を信じてしまったことから離婚に至った人のケースを紹介しながら説明します。どんなにエビデンスがあっても治療が怖くて嫌だと思ったり、科学的に根拠の薄い健康法でもその実践が生きがいや自己肯定感につながっていたり。その時に、非科学的だから間違っている、と指摘するだけでは、問題の解決にならないのではないか。


 しかし実際には、科学的であろうとする人たちは自分たちの言葉が通じないことにいらだち、こうした人たちとお互いにお互いのために傷つけられたと対立を深めてしまうことが、現代の社会ではしばしば起きています。

「私個人としては、命に関わる選択では、できるだけ科学的であるほうが助かりやすくなると思います」としながらも、朽木さんは「科学の言葉だけでは人と人とのコミュニケーションは成立しない」「必要なのは、科学と非科学という二項対立的な分断を避け、コミュニケーションを図ることができるように、人と人とのつながりを残しておくことなのではないでしょうか」と書きます。


 この後、誰もがだまされない世の中を作るために、今、私たちにできることは何かという提言へと展開していきます。そこは実際に本を読んでいただくとして、科学の言葉をめぐるこの考察から思い出したのが、これもまた最近読んだ「原発事故と『食』 市場・コミュニケーション・差別」(中公新書)でした。



 この本を書いた五十嵐泰正さんは、都市社会学を専門にする筑波大大学院准教授で、自分が住む千葉県柏市でまちづくりに関わっています。2011年の原発事故後に地元野菜の放射性物質汚染という課題に直面し、農家や消費者、スーパー、直売所、レストランなどが集まり発足した円卓会議の事務局長を務め、互いが納得できる測定態勢を整えて情報発信をした経験があります。


 東日本大震災から7年が過ぎ、原発事故と被災地への関心が薄れていく中、福島県の農水産物が震災前の価格や流通量を回復できてない状況は続いています。これは検査や放射線リスクに対する無理解の現れなのか。立場の違いによる意見対立や、容易に口に出せない「タブー」化が進み、分断が深まっているのはなぜなのか。五十嵐さんは原発事故後の食をめぐる論点を多面的に細やかに解き明かしていきます。


 「福島県を中心とした放射能災害の実相は、多くのことが科学的に明らかになっている。……しかし、それがすべての人に受容されるかどうかはまた別問題であり、科学の問題としては結論が出ていたとしても、社会の問題としては何も終わっていない。その中で、現在の状況をあくまで社会の言葉で解きほぐしていこうとする試みは、まだ十分尽くされてはいないのではないだろうか」





 この本を書いた動機について、五十嵐さんはあとがきで「原発事故から7年も経って、なお深刻ないがみ合いが続いている状況に、こうも考えられるのではないかという視座を提示することはできないかと」と書いています。「原発事故後に科学の知見は相当程度積みあがり、かなり共有されてきたが、市場や社会を冷静に分析する知見は、まだまだ共有されていないのではないか」という問題意識です。これもまた、科学の言葉を踏まえつつ、その先を考えようとする試みだと言えるでしょう。


 2冊の本がそれぞれに考察を重ねて最後に読者へ提示する「私たちができること」が、「声をあげる」と「改めて考えて日常の場で話し合ってみる」と、同じ方向を指していることも、重要だと感じました。


 「伝える」という仕事をしていて、心の底で感じていたモヤモヤや問題意識に、形を与え明確化してくれる2冊。自分がここまで考えを深められなかった力不足も感じつつ、学ぶことが多い読書体験でした。