■ ヤマトがなければジブリはなかった2015  3 11

ー鈴木敏夫:ジブリプロデューサー

「戦艦ヤマト」の人気に「くだらない」と思いつつも戦艦ヤマトのヒットで雑誌「アニメージュ」の創刊が可能になり、「風の谷のナウシカ」へと続きます

手塚治虫氏がヤマトのヒットに強い敗北感を感じたのも無理はありません

読者は気まぐれです。作り手は闘争本能を上手く刺激しながら反戦を訴え続ける能力を要求されます