■ 細菌学から見た百日咳」

講演1「細菌学から見た百日咳」
国立感染症研究所細菌第二部 第一室長  蒲地一成 

百日咳は百日咳菌の感染によって引き起こされる急性呼吸器感染症である。百日咳類縁菌であるパラ百日咳菌(Bordetella parapertussis)とBordetella holmesiiもヒトに感染し同様な咳症状 を引き起こすが、その症例数はきわめて少ない。百日咳菌はグラム陰性の短桿菌であり、1906年にベルギーの細菌学者であるJ. BordetとO. Gengouにより初めて分離された。彼らの名前から菌名 のBordetella pertussisと分離培地であるBordet-Gengou培地が命名されている。「pertussis」は激しい咳を意味し、1578年にフランス人医師のG. de Baillouが報告したのが最初である。わが国では江戸時 代後期の文政期に百日咳と呼ばれるようになった。百日咳菌は動物に感染する気管支敗血症菌(Bordetella bronchiseptica)が祖先とされ、ヒトに適応したものが百日咳菌に進 化したと考えられている。
百日咳菌はヒト気道上皮に付着し、気道の粘膜上皮細胞または繊毛間で増殖する。百日咳菌は種々の病原因子を産生し、百日咳毒素(pertussis toxin; PT)は白血球数増多作用、ヒスタミン感受性亢 進作用、インスリン分泌促進など多くの生物活性を示す。定着因子として繊維状赤血球凝集素(FHA)、線毛(Fim)、パータクチン(Prn)が挙げられ、PTとともにFHAは精製百日せきワクチンの主要抗原でもある。FimとPrnも一部のワクチンに含まれるが、PTとFHAに比較してその含有量は少ない。PTは世界で接種されるすべての精製ワクチンに含まれ、発症予防に関わる防御抗原として特に重要である。ただし、近年マントヒヒを用いた百日咳菌感染モデルにより、精製ワクチンは百日咳の発症を予防できるが菌の感染自体は防げないことが明らとなった。現行精製ワクチンは感染予防効果に劣るため、現在フランスでは遺伝子組換え技術を用いた経鼻生ワクチンの開発を進めている。わが国でも遺伝子操作によるワクチン株の改良が行われているが、実用化には遠い状況にある。
2016年、長野県木曽郡や東京都文京区などで地域的な百日咳流行が発生し、国立感染症研究所では流行株の分子疫学的な調査を実施した。その結果、木曽郡で分離された百日咳菌はすべて同じ遺伝子型を示し、単一菌株によるクローナルな感染拡大と判断された。一方、文京区では百日咳菌とパラ百日咳菌が分離され、百日咳菌は2種類の遺伝子型、パラ百日咳菌は3種類の遺伝子型を示した。この細菌学的解析により、都市部と地方では百日咳の流行形態が異なることが指摘された。この流行株の分子疫学は世界各国で行われており、欧米では精製ワクチン導入後に流行株の遺伝子型に大きな変化が認められている。日本では2000年代から日本特有の遺伝子型が減少し、欧米型の遺伝子型が増加傾向にある。また、定着因子であるパータクチンの欠損株が世界的に出現し、わが国では2000年代に一時的に増加した。世界的に百日咳菌はいまも変化を続けているが、その原因となる選択圧は残念ながら解明には至っていない。本講演では、細菌学の視点から百日咳感染症に関する問題点に焦点をあて、特にワクチンと流行株に焦点を当て、新たな知見を紹介する。

講演2「タフな奴だぜ百日咳」
北里生命科学研究所・ウイルス感染制御 特任教授 中山哲夫

百日咳は乳幼児においては無呼吸発作や脳症を合併する重要な感染症で1950年代には毎年1万例近くの死亡例が報告されていた。百日咳ワクチンは1948年に導入され1950年予防接種法により単味ワクチン接種が始まり、1968年にはDPTワクチンとして定期接種として広く使用されるようになった。当時のワクチンは全菌体不活化ワクチンで接種後の局所反応だけでなく発熱を含めた全身反応が強かった。百日咳が流行し死亡率も高かった時期には受け入れられ患者報告例数は減少し、1974年には百日咳による死亡例の報告はなくなった。しかし、1974-75年にかけてDPTワクチン接種後の死亡例が2例続けて報告され、接種率は低下し百日咳の報告例数は増加に転じた。1981年には百日咳毒素(PT)、繊維状赤血球凝集素(FHA)を主成分とするDTaPが開発され、社会に受け入れられ百日咳患者報告は減少した。2007/08年の大学キャンパスでの百日咳の流行、2010/11年にも流行し世界的に再興感染症として注目されてきた。成人百日咳は典型的な症状を認めることは稀で、医療機関を受診することは少なく、内科の医師も「百日咳は乳幼児の疾患」で成人では百日咳の疑いすら抱くことはなかった。百日咳を疑い検査をしてもワクチン接種歴もありPT抗体価の解釈が難しく確実な臨床検査法が存在しなかったことから多くの症例が見逃されていた可能性がある。2017年には百日咳の診断ガイドラインが改訂され臨床診断の基準の2週間以上長引く咳の基準が1歳以下では持続期間には言及しないこと、1歳以上では1週間以上長引く咳と改訂され、LAMP法による遺伝子診断、PT IgA/IgM抗体が保険収載さ れガイドラインも改訂された。百日咳の疾病負荷を明らかとするために検査診断に基づいた全数把握が始まった。百日咳菌の分離が基本となるが、成人百日咳では、抗生剤の使用、ワクチン接種により感染しても排菌量は少なく期間も短いため百日咳菌の分離率は低くLAMP法による遺伝子診断が有用な診断法となる。
百日咳は昔からある疾患であるが、人がワクチンで介入するようになるとワクチン免疫から逃れる変異を蓄積し百日咳菌も変化しコントロールに至らず時代によって流行状況は変化している。最近の百日咳の患者のピークは学童で小児の血清疫学調査の結果では、PT抗体陽性率は就学前4-6歳までには減衰し小学1年入学時の陽性率は40%、中学1年生では60%、大学新入生では80%と陽性率が上昇しその間に感染が起きていることが想定される。成人の百日咳の診断は困難でその疾病負荷が明らかにされていないことから全数報告制度により実態を把握することが主眼であるが、成人例を含めてペア血清採取による血清診断が容易ではなく遺伝子診断陽性の確定例をもとに発症年代を把握することでワクチン政策に反映する必要がある。
我が国の予防接種のスケジュールは百日咳の成分を含んだワクチンの接種回数は欧米と比較して1-2回少なく小学入学前の接種が実施されていない。小学入学前に接種することでその間接効果により全体の百日咳が減少することが欧米では報告されておりその効果が期待できる。現行百日咳ワクチンの東浜株は50年以上昔の株であり、その性状、抗原性にも差が認められる。高いワクチン接種率にも関わらず百日咳は世界中で流行を繰り返し百日咳が流行していることから、無細胞型ワクチンの免疫能の減衰だけではなく、感染防御抗原、発症のメカニズム、発症に関連する因子も完全には解明されてなく病態の分子基盤を解明し新たな抗原探索、ワクチンスケジュールの再検討を含めワクチンの改良の時期にある。