■ 新生児スクリーニング

北海道立衛生研究所健康科学部長 市原侃


 「新生児スクリーニング」とは一般には聞き慣れない言葉ですが、新生児に対する先天性代謝異常等6疾患のフェニールケトン尿症、ガラクトース血症、メイプルシロップ尿症、ホモシスチン尿症、先天性副腎過形成症、先天性甲状腺機能低下症(クレチン症)についての集団検診のことを指しています。このスクリーニングの目的は、生まれつき特定の栄養素を利用できなかったりホルモンが過不足の状態となり、その結果知的障害や身体の発育に障害を起こす遺伝性疾患等について、早期発見・早期治療により未然に心身障害を予防することです。
 新生児スクリーニングの対象疾患に認定されるためには、いくつかの条件を満たす必要があります。すなわち、新生児期(出生時より生後4週目まで)に診断可能、早期治療により発症予防が可能、スクリーニング時に偽陽性が多すぎず偽陰性が極めて少ない、集団の中で一定の発生率があり経済効果が見込める等が挙げられます。
 具体的なスクリーニングの流れは、まず道内の産科医療機関で生後4〜7日目の赤ちゃんのかかとからごく少量の血液をろ紙に採り、スクリーニングセンターに郵送します。センターでスクリーニング検査を行い、結果に異常のある場合、専門医による精密検査を受け、病気が診断されると、特別なミルクや薬を用いた治療を行うというものです。

新生児スクリーニングの歴史
 新生児スクリーニングは、1950年代にフェニールケトン尿症についての尿の検査による早期発見と治療の試みから始まっています。その後1961年にアメリカのロバート・ガスリー博士がろ紙を用いて血液を採取し、細菌成長阻止法という特殊なバイオアッセイ法(生物学的検定法)により、血中のフェニールアラニンを測定する画期的な早期発見法(ガスリー法)を発表し、血液によるフェニールケトン尿症スクリーニング法を確立しました。
 わが国では、1966年に厚生省(現厚生労働省) がフェニールケトン尿症早期発見のための研究班を組織し、1977年10月より、同様の方法で可能となった5種類の疾患をあわせて、検査料の公費負担による国の事業として新生児スクリーニングを開始しました。新生児スクリーニングの実施主体は都道府県および政令市であり、開始当初は、全国で52のスクリーニングセンターを指定し、北海道では、北海道立衛生研究所(当所)と札幌市衛生研究所が指定されました。
 わが国での新生児スクリーニングの対象疾患は、その後1979年末よりクレチン症、1988年より先天性副腎過形成症がそれぞれ追加となり、1992年には、スクリーニングの効果が認められなかったという理由でヒスチジン血症が除外されて、現在は、前述の6疾患となっています。なお、実施率は、1984年度からは、99.5%以上となっておりほとんどすべての新生児がスクリーニングを受診し、わが国では開始以来3千万人以上の新生児が受診していることになります。

当所における新生児スクリーニングへの取り組み
 北海道(札幌市を除く)では、全国の状況とほぼ同様の経過で新生児スクリーニングを開始し、2002年末までの約25年間でスクリーニングした新生児の数は100万人を超え、治療を受けた患者の数は、フェニールケトン尿症やクレチン症など300名を超え、大きな成果を上げました。
 この間、新生児スクリーニングでの見逃しは重大な心身障害を引き起こすことにつながることから、常にスクリーニング検査法等の改良を行い、微量化、迅速化、高精度化を図りました。さらに、スクリーニングシステム全体の検討を行い、検体の受付から陽性児の精密検査病院への受診勧奨にいたるまでの内部精度管理システムを確立しています。また、新たな対象疾患のスクリーニング方法の検討や、現行の新生児スクリーニングの効果等について厚生省心身障害研究等とも連携して多数の報告を行い新生児スクリーニング事業の改善に努めました。特にクレチン症に関連する調査研究については、検査法の検討や判断基準値の設定、精度管理手法に加えて、スクリーニングに及ぼすヨード消毒法の影響とその解決法、軽症クレチン症等の各種病型や未熟児の甲状腺機能異常に対する対応等、顕著な成果を上げています。
 1997年に北海道は「事務事業の民間委託等に関する方針」を策定し、新生児スクリーニングに対しても、当所等での長年の改善と技術移転により、民間検査機関で対応可能な検査業務になったとして、2002年末より(財)北海道薬剤師会公衆衛生検査センターに外部委託しております。

新生児スクリーニングの経済効果について
 厚生省心身障害研究班(1993年)による費用−便益分析によると、わが国では、新生児120万人当たり31億円の純便益があると報告されています。ここでの費用とはスクリーニング検査費用、患者発見後の治療・管理費用などのことであり、便益とは障害に伴う施設費・養育費・特別教育費がスクリーニングにより回避されたことによる利益などが挙げられます。純便益とは便益から費用を差し引いた額であり、特に甲状腺ホルモンの不足により重い心身障害を引き起こすクレチン症においては、発生率が高いことからその効果は著しく高くスクリーニングの純便益の大半を占めています。このように新生児スクリーニングは、国が1年間に31億円の純益を得るとされ、スクリーニング事業の判断・評価の合理的な根拠となっています。勿論、心身障害の改善など患者の生活の質が総合的に評価される必要があることは言うまでもありません。

新生児スクリーニングの今後の課題
 今後、新しい検査方法の導入や新しい対象疾患のスクリーニングの検討に関連する課題等が挙げられています。
 新しい検査法については、最近諸外国でも導入されつつあるタンデムマスと呼ばれる装置により、従来の方法では見出せなかった多くの種類の代謝異常疾患が見出されることなどから、いくつかの大学や研究機関で検討がなされています。新しい疾患をスクリーニングに追加する場合には、前述の費用−便益分析などの経済効率評価とともに、子どもの将来性等も十分に加味して評価・検討していく必要があります。
 この他、倫理的課題として、血液ろ紙を他の新しい対象疾患の検討等に使用することについては十分なインフォームド・コンセント(説明と同意)が必要であり、また、遺伝病等のスクリーニングの進歩に伴い、遺伝情報の利用にあたっては保険加入、雇用などにおいて重大な差別を招かない等の社会的なルールが必要となっています。この倫理的課題については、近い将来、生活習慣病などありふれた病気についても個々人の遺伝情報を基にこれらの疾患を発症前に予知・予防することが可能になると考えられることから新生児スクリーニングのみの問題ではないと言えます。

当所におけるその他の健康づくりへの取り組み
 当所健康科学部におけるその他の健康づくりの取り組みとしては、2002年度より2004年度まで先天性銅代謝異常症(ウイルソン病) の3歳児検診と連動したスクリーニングに関する調査研究(北海道の重点領域研究)を行いました。
 健康科学部では今後も北海道の各種施策や法令に基づき、健康づくり事業、花粉症、シックハウス対策、温泉療法の研究、飲料水検査や放射線の安全性確認のための測定など道民の健康増進と健康危機管理に対して積極的に取り組んでまいります。


市原 侃(いちはら なおし)氏
1975年当所疫学部毒性病理科研究職員。同部臨床病理科長、主任研究員、企画総務部企画情報室長等を経て2005年より現職。その間、貝毒や臨床理化学等の試験・調査・研究、企画部門等に従事。理学博士。